2012年12月22日土曜日

妄想癖

はじまりは就学以前、死体になりきることだった。
死んだ私を家族が発見し、泣く、叫ぶ、生き返っておくれと哀願する。
欲しいのはドラマだ。
が、「こんなところで寝ないでよ」と姉に踏みつけられるだけだった。


次はダンサーになった。
家族が寝静まった真夜中に床の間をステージにしていたが、味をしめて大胆になったのが失敗だった。連日連夜のステージは、いずれ目撃される運命にある。
内向的な末娘、その子が闇の中で踊り狂っている姿はそれ相当なインパクトを与えてしまったのだろう。それから家族が努めてさり気なく昼ステージを仕向ける姿にいたたまれなくなる。


小学生は何といってもマンガやアニメの主人公。ブラウン管のなかのスター。
一番熱中したのは「エースをねらえ!」の岡ひろみ。今も額に残る傷跡は椅子を使った自主トレ時に起きた惨事だ。アクション映画のスパイ、無実の罪で追われる逃亡者、男を踏み台にのし上がっていく悪女。芸能人と恋におち、ファンに虐められたり、身を引くと泣いてみたものの、コーフンした割に飽きるのも早かった。


中学生ぐらいになると、辞書に書かれてある言葉を片っ端から妄想していった。
無人島にでも行け、という話だ。

この頃になると自分の性格が何となく把握できてくる。
陰、暗、闇、曇、雨、湿、鈍、底、灰、という文字はしみじみと安心はするものの、お題目としては排除傾向にある。呪、怨、殺、に至っては扱う度胸さえない。粘着型、陽性。



「妄想」→「ひとり遊び」
いつからだろう、この安くて暗い遊びに翳りが見えはじめてきた。マンネリ。夢オチ的な虚しさ。いい大人が何やってんだ?という自責の念。なんか説教されてばかりだし。
しかし身に染み付いてしまった妄想は活路を求めている。一人でやっているから限界があるのではないか?そうだ、よそ様を巻き込め。


エレベーターで先を譲っていただいた。
そんな親切に「ありがとうございます」と軽く会釈をするだけじゃ物足りないので、追加して心の中で叫んでみる。
「貴方の今日一日が素晴らしいものでありますように!」
すると、アラ不思議。なんとも清々しい気持ちになるではないか。本気で願うのがキモだ。

一方、強引に割り込んでくる輩もいる。
腹立たしい気持ちをグッと堪えて、やはり心の中でささやく。
このところはまっているのがプレゼントバージョン。それもクリスマスが熱い。
「オヤジ、私からのクリスマスプレゼントだ、受け取っておけ」
「メリークリスマス、オヤジ♪」


上から目線になった途端、誰も彼もに温かな気持ちになっていく。
見ず知らずの方に一方的に好意を押し付けて気持ち良くなるという遊び。
くどいようだけど、肝心なのは本気で思うこと。

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