海水浴や潮干狩りに最適な浜が長く続きます。しかし、東日本大震災により、こちらも津波の被害、加えて原発問題が深刻です。被害に遭った建築物の大半が撤去されていましたが、まだ残された家も。古くからの漁港は独特の魚の匂いもなく静まり返っていました。
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よく見る夢がある。何かに追われ、両手で持てるだけ物を選び、名残を惜しむ間も許されずに部屋を後にする。ディテールに多少の違いはあってもこのシーンはいつも同じ。
夢の出所は14才の夜逃げの記憶だと思う。実家の家業が倒産し、親戚宅に私を預けて両親は失踪。それから半年間、紙袋二つで親戚宅を渡り歩くこととなった。最終目的地、東京の親戚宅に着いてから暫くは昏々と眠り続けた。しかし、ここも遅かれ早かれ、少なくとも高校を卒業するまでには出なければならない。それまでに自活の準備を整える。半年の間で15才になった私はそんなことを考えていた。
ここに至るまで、呆然、絶望、恐怖、怒り、諦め、そんな感情がグツグツと湧き出でるだけが続いた。そして諦めという段階でようやく現実を受け止める余裕が出てきたように思う。でも気持ちはまだ立ち止まりたくて逆走を繰り返す。やがて決断の時がくるが、同時に見えてくるのは現実的な困難。複雑に絡み合う問題を整理し、解決への糸口を見つける。「やる」そう己を奮い立たせた時、何とか明日に光みたいなものが混じってきた。
被災地の映像が流れるたび、被災地を訪れたり仮設住宅を目にするたび、あの頃の自分を思い出す。状況はまるで違うし「被災された方々の気持ちを察する」とはまた別の話。実際、私は震災について未だ語る言葉が見つからないでいる。
ただあの頃を思い出す。ある日突然もぎとられるように失われる日常。帰る場所はなく、行く先も定まらぬ不安。その不安を埋めるためガムシャラに走り続けた。今が不幸なわけじゃない。後悔があるわけじゃない。けれど30年以上経った今も埋められない何かがある。あの家は、あの置き去りにした物たちは、あの日のまま変らずに今もまだ私を待ち続けているように思えてならない。
不自然に建物のない海岸沿いの町。地震、津波、原発。失われた命。
今回もまたかつてここにあったものに黙祷を捧げるしかできなかった。失ったものはなかったことではない、それ以外は何もわからなかった。町ですれ違う人々の横顔に何の言葉も見つけられず、いわきの町を去った。私はこれからもあの震災について考え続けるんだと思う。